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〜墨の沿革〜

漢の時代に始まった墨づくり

「墨」という名は「染み」からなまり伝えられたものといわれています。
 現代のような墨が造られたのは漢の時代に「ゆ麋山」という山の松煙から造ったのが始まりといわれていますが確かではありません。我が国へは推古天皇の十八年(西暦六一〇年)高句麗の僧、曇徴が製墨法を伝えたといわれています。
 その後奈良を中心に、丹波・播磨・大宰府・中世には藤代(紀伊)、武佐(近江)、また後には讃岐などでも造られていましたが、逐次絶えて奈良だけが今、尚隆昌を極めています。奈良墨は、応永の頃(西暦一七三九年)古梅園六世松井元禄が長崎で清人と製墨法を交流して大いに教えられ、より一層品質のよい名墨を作るようになりました。
明治以後も各地で墨が造られましたが、奈良墨が伝統産業として栄えて現在に至っております。



〜奈良墨と古梅園〜

 現在の墨の生産地といえば、奈良が代表されます。それでは、奈良墨について、その沿革を述べてみましょう。
 奈良墨には、様々な説があります。興福寺二諦坊で初めて油煙墨が作られたとすれば、日本の油煙墨の発祥の地は奈良であるということになります。空海が油煙墨伝来の祖となったという説もありますが、これは信用がおけません。
 古来より、奈良は南都仏教の地といわれ、仏教繁栄には欠かせない土地でした。したがって、寺院も多くあり、そこでの写経の高まりから、墨の激しい需要が顕著となったのです。つまり、奈良墨は寺院や僧侶を背景にして、発展していきました。
 製墨は、国の官史や僧侶の手によって行われていましたが、寺社の権力が衰退してきた戦国時代に、松井道珍の登場により、製墨業は、一般庶民の手にゆだねられました。これより以後、四百有余年にわたる『古梅園』(天正五年創業・西暦一五七七年)の歴史が開始されました。





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